2019年8月20日火曜日

追悼

2019年8月18日
高田で大変お世話になった、かけがえのないひとが旅立ちました




64歳

まだ若い子どもたちと、愛するひとを残しての旅立ちは
あまりに
あまりに早過ぎて

ご本人の無念も
ご遺族の哀しみと喪失の深さもはかり知れず

受け止めがたい思いですが


師とも言えるそのひとは
私に言うと思います


あなたはあなたの人生を

これは俺の人生





いくつもの挑戦を重ね、自ら人生を豊かにし、苦悩ごと味わい、
伝え、築き、残し、時代に刻み、
10年のリハビリの日々と春からの入退院を経て、この去り際まで、

最期まで丸ごと示してくれた生き様を
垣間見せていただいたひとりとして


これまで交わした言葉、示してもらったこと、
笑い合った時間、もたらしてもらったつながりを

どれだけ自分の血肉に代えて、次の誰かに渡すことができるか
私もちゃんと私の人生を生ききれるか


自分を問う灯が、またひとまわり明るくなってしまったと感じます


それはゆく先を示してくれる
消えることのないあたたかい灯でもありますが

照らさないでーー と思ってしまうくらい
情けないことまでお見通しのひとが増えるのは困ります、と文句を言えば


きっと笑って

みんな情けないもんでしょ、

と仰るでしょう



涙より笑いを

悩んだら軽やかにステップを


一番大事なのは 愛 と言ってはばからなかった方


まっすぐに、
ほんとうの言葉を
語ってくださる方でした




どんなに言い聞かせてみても、哀しみはいくらでも溢れ出ますが


生きている間に、
伝えたかったことは、伝えることができたと思います

彼を慕う多くのひとに、そのための時間の猶予をくださったことも含め


宮﨑 眞さんの人生に、
惜しみないスタンディングオベーションを

感謝と敬意を込めて
しずかに捧げます



昨年末の展覧会の折にアップした記事です↓


作品はいずれご家族にお返しすることになると思いますが
いましばらくの展覧会の間、出会っていただけたらと思います



2019年8月9日金曜日

旧友再会②縄文とカーディナル

桜並木を通ってようこそ maiosn へ
スイカを食べながらひと休み

アメリカでの暮らしや子どもたちの学校のことなど
日本との違いに驚きながら、これまでになくゆっくり、たっぷり
聞かせてもらっていたら時間はあっという間



最後は車で「馬高縄文館」へ行き全館満喫
私が見たかった企画展も一緒に愉しんでもらいました


山口三輪作品展、素晴らしかったです
9月1日まで



ここに5500年前からひとの営みがあったなんて・・・
5500年がどんな長さか想像もできません



後日、東京方面にも出かけた友人は
今回の里帰りは娘さんに日本を知ってもらう旅になったとのこと

私も、またとない旅をさせていただきました



はるばるお土産にいただいたのは、彼女が暮らすシンシナティを拠点に活動していた
著名なアーティスト、故チャーリー・ハーパーのグッズ

赤い鳥はカーディナル(ショウジョウコウカンチョウ)というそうで
実物を検索したら激しくソックリでシビレました

「最小限のリアリズム」と称されるデザインスタイルの巨匠
チャーリー・ハーパーもすごいけど

こんな素敵な旅をもたらしてくれた友人にも
ブラボー☆☆☆



遠くから見るとサングラスでもかけたような
目つきの悪いトリみたいですが、
ほんとのお目目は、ちょこんとついてるかわいいお目目の
カーディナル


2019年8月8日木曜日

旧友再会①太陽と祈り

7月末には、アメリカに住む高校時代の同級生が訪ねてくれました
12年前、高田の「caféたびのそら屋」にご家族揃って訪ねてくれて以来の再会

変わってない友人と
すっかり素敵なお嬢さんに育った娘さんと
すっかりカタコト英語さえ出て来なくなったワタシ(;´Д`)

たのしかった!!うれしかった!!!



長岡駅からアオーレ(長岡市役所)経由


知人に駅前で和食ならココ!と教えてもらった「太陽」でランチ

前から気になっていた知る人ぞ知るのお店
お昼のメニューは、ザ・ニッポンの日替わり定食(のみ!)

友人には懐かしの日本の味
Cちゃんもお箸を上手に使ってイカ刺以外は美味しく食べてくれました

私は夜の部でまた来たいです


その時には小上がりに飾られた色紙↑のいわれも
お聞きしてみたいと思いながら

お店の道を挟んだすぐ並びにある「長岡戦災資料館」へ


事前に長岡のスポットを調べた友人が、娘さんに見てほしいとリクエスト

大丈夫かな?とちょっと心配していましたが
大丈夫だったと思います


その後は maison に向かう途中の明治公園にある
「長岡空襲爆撃中心点の碑」に立ち寄って


柿川沿いの平和の森公園に向かいながら

彼女も昔からこういった歴史に深い関心があったわけでなく
この歳になって少しずつ・・・のこと、

アメリカで子育てをする中で思うこと、
とにかく平和が大事と伝えたいという気持ちを聞きながら

彼女とこういう話ができたり
こうして一緒に歴史に触れることができるなんて・・・と
ひたひたと感動していました




「太陽」を教えてくださった知人は戦前のお生まれで
朝晩、ウォーキングの途中でこの平和像にお参りするのだと聞き
私も時々ではありますが、来た時には見倣ってお参りします

そういうひとの祈りがこの町を包んでくれている気がして

平和への希求をまっすぐに語ってくれるひとがいることを
尊く、ありがたいと、このとほか思う夏



2019年8月7日水曜日

8月3日(土)長岡花火

この日はメゾンにて



開始に間に合うようにスタンバイ




昨日より風があって




ほどよく煙が流れて綺麗に見えます




今日はひとりなのですが




お伴はぬかりなく




この時間にも働くひとを思ったり




例えば病院から眺めているひとを
思ったり




たくさんの願いが打ち上がるのを




いつしか無心で




こんなきもちを
毎年確かめることのできる街




きっと何度見ても いとおしくって

よかったね、 よかったね、 と
言ってしまうと思います


この平和 続く限り




2019年8月6日火曜日

8月2日(金)長岡花火

家を出るのが遅くなって打ち上げが始まってしまったけれど
お陰で素敵な看板サインに遭遇しました



ここでしばらく見ていてもイークラいでしたが
河川敷へ急ぎます




私にとって、長岡の町を感じるランドマークの「水道タンク」
(旧中島浄水場配水塔)の横を通って土手に上がります




河川敷のフリーエリアは
打ち上げ場所に近づくにつれて観客密度がぎっしりですが
ほどほどの距離であればまだ余地は有ります




先客のお邪魔にならないように座った後は
もう ただただ見上げて

わぁ わあぁ。。 と




レンズに収まりきらないことにも歓声をあげながら




いろんな思いのひとが、同じように見上げる夜空




今年も一緒に見れてよかったね



また来年、と
花火師さんたちに感謝を送る光の交換


振り返ればライトアップされた水道タンクが
帰る道を教えてくれる



この水道タンクは長岡空襲を経て奇跡的に残る
砲弾痕の刻まれた戦跡でもあると

タンクをこよなく愛するひとが教えてくれました


私より何年も前に縁あって長岡に暮らし始め、
長岡の歴史を知り、この街にできることを尽くしながら
今やこの地域への愛情を語ってくれる

そんなひとと出会えた
2年目の夏


この町で、おともだちができはじめました

うれしい気持ちを
花火と一緒に刻みます




2019年8月1日木曜日

長岡の夏2019

長岡で過ごす2度目の夏

8月1日から3日間開催される「長岡まつり」が近づくにつれ、
駅前の商店街は装いが整えられ、スーパーの売り場は賑わいを増し、
町全体がそわそわしている気配を感じながら

2日・3日の「長岡花火」は平和を願う慰霊の花火
ということを、例年以上に受け止めています




昭和20年8月1日は長岡空襲が始まった日で
市街地の8割が焼け野原と化し1,488名もの命が失われたと

このまつりは、その慰霊の念、復興に尽力した先人への感謝、恒久平和への願いを伝えるためのものであると、
各戸配布のパンフレットには、長岡まつりの起源についても丁寧に書かれています


このたびは、折しも遠方から訪ねてくれた旧友親子と、
長岡駅前にある「長岡戦災資料館」を訪ねることができ、
その戦禍を更にリアルに感じることができました


長岡空襲の爆心地は maison からもほど近く(わずか200mほどの距離)
裏を流れる柿川の上流では、炎から逃れるべく人々が身を投じたものの
夏の渇水期だったこともあり救われぬ命も多かったとか

まさにこの地で繰り広がった痛ましい戦禍と復興
知らずに過ごすわけにはいかない歴史です


8月1日
74年前のこの日に空襲が開始された時刻22時30分に合わせて
今年も打ち上げられた慰霊の花火「白菊」

祈りを捧げながら
この刻のあと、1時間40分にもわたる空襲が続き、
町が焼き尽くされるまで、炎と煙に包まれたのだ思うと
いつになくそら恐ろしい気持ちになりました




「長岡花火」では、お盆とはまた別に、
遠方のお客様をお迎えするお宅も多いのだとか

長岡の花火は本当に素晴らしくて、
ただただ感嘆しながら楽しく宴を共にできるのは
これぞ平和、なによりのしあわせ


でも、悲惨な歴史を伝え、この過ちが繰り返されることのないよう
声を上げ続けてくれた方々が居ての平和、

ということも身近に感じることのできる
長岡の街、と知った夏です










2019年7月28日日曜日

外壁修繕終了

連日、思わず笑ってしまうような暑さです
(もちろん悲鳴混じりの苦笑ですが

命がけともいえる夏
いかがお過ごしでしょうか




私は思い出深い出来事が続いています

来し方を、感謝を込めて振り返るような再会や
行く先がたのしみになるような出会い

いずれも今立つ足元を確かめ
この先を照らしてくれるような出来事です



まずは2ヵ月に及んだ外壁修繕が終わりました(7/27)



覆いが取れたら、まるっと日差しがあたるようになって暑さ激増(;'∀')
シェードや木陰の重要さを実感します



今回、延べ何人の方が携わってくださったことでしょう
それぞれの工程で、それぞれの分野の職人の方々にご尽力いただきました

暑い日も雨の日もありました
古いコンクリのはつり、ヒビの修復、剥落部の再建、朽ちたパーツの交換、
粉塵も大変、塗料の匂いも大変、
電気屋さんはじめ、みなさん繁忙期をぬって作業してくださいました


なんたって最初と最後、足場組みと解体は、
屋内に聞こえてくる掛け声からも大変さを感じました
往来の多い平日より土曜を選んでくださったのもありがたかったし、
大人数を投入してくださった組み立てはすごかった・・・

一度、足場に登らせてもらったのですが
覆いがあってもコワかったです
そこを皆様、重い道具を持ってひょいひょいと・・・


こういう方々の仕事のお陰で生活や街が成り立っているのだと
改めて感じた日々でもありました


ともかく老朽化の著しかった壁面の修復が大目的でしたが
職人さんたちにこんなにお手入れしてもらったうえ
「きれいになったね☆」といろんな方に褒めていただいて

このおうちもうれしいのじゃないかな (。-_-。)


お手入れを要する所はまだまだあるのですけれども
私たちとほぼ同年代の我が " maison "  
一緒にがんばっていきましょう



取りまとめの会社さんには
本当に全方位に細やかに配慮・調整していただき
大変ありがたかったです

こういった建物修繕をご検討の方にはぜひご紹介したいです
お尋ねください☆


2019年6月29日土曜日

『俺に似たひと』

6月の読書



平川克美 著 『俺に似たひと』(医学書院・2012)


父親の介護・看護・見送り、実家の片付け等々の「物語」

食事と排泄がとっても大事、という具体的な話を織り交ぜながら、
端的な記述からも伝わる息子としての動揺、実動の日々の重さが、
美化にも悲痛にも偏ることなく
(それでも事実・実感の言葉は十分に胸を突くのですが
客観視する冷静さを心掛けた、サラリとした文体で綴られています


ご両親が生きてこられた戦前戦後、
1950年生まれの著者の学生時代、
2011年3.11を挟んだ近年、

それぞれの描写に時代の空気を感じながら

受け継がれるものと
消えゆくものがあるとして

伝え残されることの尊さ
受け止めることの大切さ


生きること
死ぬこと

それらが一体であること

****


父を見送ったときのこと
母の献身

私にできたこと
(物理的な意味でなく)できなかったこと

祖父母たちのこと


いろいろに思いを巡らせました


著書の観察や介護の日々には敬服するほかない心情でしたが
その筆致は、
誰にも過ぎてからしかわからないことがあると

流れゆくせせらぎのような、やさしい読後感でした


「あとがき」には、
個人的な体験であるものの介護は普遍的な問題でもある
という意識に基づいて書かれたものであることが記されています

いざわ直子さんの表紙絵や挿絵もとてもよかったです


本書が連載されていたという医学書院のウェブマガジン「かんかん」
http://igs-kankan.com/

こちらも興味深い情報が満載
偶然手にした1冊からはじまる数珠つなぎ


『俺に似たひと』の刊行前の予告記事はこちら↓
http://igs-kankan.com/article/2011/07/000442/


2019年6月28日金曜日

青いメゾン

6月1日から始まった外壁修繕


しっかりと造られた建物ではありますが経年には抗えません
遠目にはわからなくともなかなかの満身創痍

いましばしがんばってもらえるように
微力な私たちにできる精一杯を


青いシートで覆われた  "blue maison"


職人さんたちのご尽力で作業は順調に終盤に向かっています

全体が完了するのは7月半ばの予定ですが、
エントランスと建物正面は、6日からの展覧会に間に合うように
終わらせていただける段取りです


屋内も、シートの反射でほんのり青いひと月でした


電気、足場、下地、造作、シーリング、塗装・・・
作業内容によってそれぞれの職人さんたちが、高い足場の上で
手を動かし、技の粋を尽くしてくださっているのを感じながら

7月の展覧会「ツクルノコト」の会期に備えます





2019年6月27日木曜日

桜の樹の下で

5月末の川べりは、
イタドリが河川敷を覆い尽くす勢いで育っていました



半月ほど前に手前から刈り始めていたのは正解で、
そうでなければ近づくのも容易でないほどに
イタドリは私の背丈を超えて成長し、茂みは倍にも膨らんだ様子です

一本が大きく育ってたくさん葉がついている分、
一本を刈り取るだけで視界がぐんと拓ける感じは気持ちのよいもの

鎌を持っていないので用いたのは活け花用の鋏でしたが
これがなかなか優秀で

長い茎をそのまま横たわらせておくより土に還りやすいかしらと
茎が空洞になっているイタドリを、ヂョキンヂョキンと何分割かに切りながら
茂みを拓いていきます



愉しみのひとつはイタドリを除けた下に現れる野草たち

春に芽吹いて育ってきたであろう可憐な植物が、
イタドリの成長で太陽を遮られながらもひょろりと生きていたのが現れると
がんばったね!と讃えずにはいられません


ただ、植物たちは逞しく
適した環境がまためぐってくるまで、何年も種で眠って待つものもいると聞きます

刈られたイタドリも、しばらくすればまた同じ株から芽をだして
河川敷の支配権回復は時間の問題でしょう

敷地には笹も根を張っていて
手入れする人がいなくなれば、ここがあっけなく草木に覆われるのは
容易に想像できること




ふと、涼しさに手を止めて見上げれば桜の樹

炎天下であるはずの好天の午後が、こんなにさわやかで、
鳥のさえずりとせせらぎを聴きながら、
草刈りに没頭できるのはこの木陰のおかげ、と気づきます

この草むらで一番軟弱なのは
ちょっとの虫にもビクリと怯える私であるのは間違い無しで

庭シゴト、などと言ってしまいますが、
闖入者がわずかな期間を遊ばせてもらっているのだと思い至ります




6月末、案の定、イタドリは再生をはじめていましたが
代わって隆盛していたのはツル植物

これまた覆う系なので、今度は蔓オンリーの世界になりかねません
木をひきずり倒すこともある蔓植物は、時に恐ろしくも感じます
少し刈ってみると、その下に、新たな植物がよろっと生えていました

イタドリの葉の覆いが取れて、それっ!とお日様に向かって伸びてみたものの、
今度は蔓がやってきた・・・
「狐のボタン」を翻弄したのは、むしろ私でしょうか




桜の樹の下のひきこもごも
穏やかなのはほんのひととき

桜の葉につくアメシロについては、昨年を教訓に、
早めの対処が功を奏した様子ですが

この日はまた新たな問題発覚
今度はアソビと言うには余りある「事件」級


自然界にはかないません
かないませんが、どうか我々も安全に居させていただけますように・・・


お陰さまで、暮らすだけでなにかしらの経験値が上がっていきますが
何ごとにも動じなくなるには、

まだまだかかりそうです