2017年4月10日月曜日

『知事抹殺』アフタートーク

 映画「『知事抹殺』の真実 」 上映会・夜の部では

佐藤栄佐久 元福島県知事 
泉田裕彦 前新潟県知事 のトークがあるのが楽しみでした


撮影オッケーでした



主催者サイドで用意した佐藤 元知事への質問をもとに
泉田 前知事がインタビュアーとして進行していきます

質問はいずれも、それは聴いてみたい!と思う興味深いもので
泉田氏の導入、つかみも鮮やか、
満員の会場中が期待いっぱいに耳を傾けました
が・・・

佐藤元知事は、ほとんどの質問に
まともに答えることができませんでした

didn't ではなく couldn’t です





ほとんどの問いに対して彼が繰り返し話したのは
自分がいかに贈収賄とは無縁に、クリーンに、
ひたすら県民のことを思って職務に邁進してきたか、

それがある日突然、10人も、20人も、記者たちが自宅を取り囲み

20日間もそんな状況が続けば、誰だって
知事は何か悪いことをしたのではないかと思ってしまう…

という主に二つのことで、
それはすでに今しがた映画を通して見聞きした内容でした




その合間には「新潟県」を何度となく「秋田県」と言い間違えて
会場に優しい笑いを呼びましたが

聞きたいことが聞けない、質問への的外れな繰り返しトークは
まるで、かの国会答弁を思わせ、次第に会場内に・・・ん ん ん ? 
のケハイが広がっていくのが感じられました

私は、お年を召したのかな… としばらく思いましたが
次第に、彼が話したいのはこのことだけなのだ…
と、感じ始めました

”冤罪” は回避できたのか? とか
もしも原発事故時に知事だったら? とか

「あの時もしも」という問いは、
彼には意味が無いのかもしれない。。。

彼の中にあるのは

5期18年半にわたって知事として県民のために奮闘してきた事実と、
2006年、身に覚えのない罪に問われ、大切な人たちも巻き込まれ、
検察の執拗な取り調べの中で
罪なきひとが精神的に追い詰められ
命を絶つまでに追い込まれた事実


語り口は極めて穏やかで、
福島のひとらしい朗らかさでにこやかに話されていましたが

泉田氏を現・知事と思い込んでトークを続けたそのひとは
もしかすると「今」を生きては
おられないかもしれない。。。

否、生きる力の全ては、
我が身を襲った ”事件” の顛末を語ることにのみ注がれている
と言ったほうがよいでしょうか。。。




そんな佐藤元知事を上手に包みながら
泉田前知事の見事な進行とトークのまとめの後、
再登壇された安孫子監督の発言が状況を的確に伝えて下さったと思いました

開口一番、「佐藤元知事は大変疲れておいでです」と

福島からの移動で疲れたのでなく
この裁判と闘う日々の中で大きく傷つき
疲れきってしまわれたのだと

映画を撮影していても、
思い出すのも辛いことがたくさんおありだと感じられたと
おっしゃる言葉は、こみあげるものをこらえて震えているようでした



一人の政治家を、二度と政治の場に立てないよう 
”抹殺” したのです 



大切な人たちをこれ以上巻き込まないために
身に覚えのない罪を認めるという形で裁判を終わらせたものの
その憤りは、この気高くやさしき魂のひとの中で終わりようもなく

卑怯で理不尽な見えない権力は、これまでの10年間と同様、
今も彼を痛め続け、発展的対話不能な場所に縛り付けている

映画以上にその真実を伝えたトークシーンでした




新潟市ではソメイヨシノの開花が発表された日
上映会場横の公園も、信濃川べりも桜が咲き始めていましたが




ずしりとした心もちの帰路でした