2019年6月29日土曜日

『俺に似たひと』

6月の読書



平川克美 著 『俺に似たひと』(医学書院・2012)


父親の介護・看護・見送り、実家の片付け等々の「物語」

食事と排泄がとっても大事、という具体的な話を織り交ぜながら、
端的な記述からも伝わる息子としての動揺、実動の日々の重さが、
美化にも悲痛にも偏ることなく
(それでも事実・実感の言葉は十分に胸を突くのですが
客観視する冷静さを心掛けた、サラリとした文体で綴られています


ご両親が生きてこられた戦前戦後、
1950年生まれの著者の学生時代、
2011年3.11を挟んだ近年、

それぞれの描写に時代の空気を感じながら

受け継がれるものと
消えゆくものがあるとして

伝え残されることの尊さ
受け止めることの大切さ


生きること
死ぬこと

それらが一体であること

****


父を見送ったときのこと
母の献身

私にできたこと
(物理的な意味でなく)できなかったこと

祖父母たちのこと


いろいろに思いを巡らせました


著書の観察や介護の日々には敬服するほかない心情でしたが
その筆致は、
誰にも過ぎてからしかわからないことがあると

流れゆくせせらぎのような、やさしい読後感でした


「あとがき」には、
個人的な体験であるものの介護は普遍的な問題でもある
という意識に基づいて書かれたものであることが記されています

いざわ直子さんの表紙絵や挿絵もとてもよかったです


本書が連載されていたという医学書院のウェブマガジン「かんかん」
http://igs-kankan.com/

こちらも興味深い情報が満載
偶然手にした1冊からはじまる数珠つなぎ


『俺に似たひと』の刊行前の予告記事はこちら↓
http://igs-kankan.com/article/2011/07/000442/


2019年6月28日金曜日

青いメゾン

6月1日から始まった外壁修繕


しっかりと造られた建物ではありますが経年には抗えません
遠目にはわからなくともなかなかの満身創痍

いましばしがんばってもらえるように
微力な私たちにできる精一杯を


青いシートで覆われた  "blue maison"


職人さんたちのご尽力で作業は順調に終盤に向かっています

全体が完了するのは7月半ばの予定ですが、
エントランスと建物正面は、6日からの展覧会に間に合うように
終わらせていただける段取りです


屋内も、シートの反射でほんのり青いひと月でした


電気、足場、下地、造作、シーリング、塗装・・・
作業内容によってそれぞれの職人さんたちが、高い足場の上で
手を動かし、技の粋を尽くしてくださっているのを感じながら

7月の展覧会「ツクルノコト」の会期に備えます





2019年6月27日木曜日

桜の樹の下で

5月末の川べりは、
イタドリが河川敷を覆い尽くす勢いで育っていました



半月ほど前に手前から刈り始めていたのは正解で、
そうでなければ近づくのも容易でないほどに
イタドリは私の背丈を超えて成長し、茂みは倍にも膨らんだ様子です

一本が大きく育ってたくさん葉がついている分、
一本を刈り取るだけで視界がぐんと拓ける感じは気持ちのよいもの

鎌を持っていないので用いたのは活け花用の鋏でしたが
これがなかなか優秀で

長い茎をそのまま横たわらせておくより土に還りやすいかしらと
茎が空洞になっているイタドリを、ヂョキンヂョキンと何分割かに切りながら
茂みを拓いていきます



愉しみのひとつはイタドリを除けた下に現れる野草たち

春に芽吹いて育ってきたであろう可憐な植物が、
イタドリの成長で太陽を遮られながらもひょろりと生きていたのが現れると
がんばったね!と讃えずにはいられません


ただ、植物たちは逞しく
適した環境がまためぐってくるまで、何年も種で眠って待つものもいると聞きます

刈られたイタドリも、しばらくすればまた同じ株から芽をだして
河川敷の支配権回復は時間の問題でしょう

敷地には笹も根を張っていて
手入れする人がいなくなれば、ここがあっけなく草木に覆われるのは
容易に想像できること




ふと、涼しさに手を止めて見上げれば桜の樹

炎天下であるはずの好天の午後が、こんなにさわやかで、
鳥のさえずりとせせらぎを聴きながら、
草刈りに没頭できるのはこの木陰のおかげ、と気づきます

この草むらで一番軟弱なのは
ちょっとの虫にもビクリと怯える私であるのは間違い無しで

庭シゴト、などと言ってしまいますが、
闖入者がわずかな期間を遊ばせてもらっているのだと思い至ります




6月末、案の定、イタドリは再生をはじめていましたが
代わって隆盛していたのはツル植物

これまた覆う系なので、今度は蔓オンリーの世界になりかねません
木をひきずり倒すこともある蔓植物は、時に恐ろしくも感じます
少し刈ってみると、その下に、新たな植物がよろっと生えていました

イタドリの葉の覆いが取れて、それっ!とお日様に向かって伸びてみたものの、
今度は蔓がやってきた・・・
「狐のボタン」を翻弄したのは、むしろ私でしょうか




桜の樹の下のひきこもごも
穏やかなのはほんのひととき

桜の葉につくアメシロについては、昨年を教訓に、
早めの対処が功を奏した様子ですが

この日はまた新たな問題発覚
今度はアソビと言うには余りある「事件」級


自然界にはかないません
かないませんが、どうか我々も安全に居させていただけますように・・・


お陰さまで、暮らすだけでなにかしらの経験値が上がっていきますが
何ごとにも動じなくなるには、

まだまだかかりそうです





2019年6月17日月曜日

展覧会の余韻

5月に開催したー木の器、草花の輪ー 
川鍋木八さんとひと葉さんの二人展

閉幕からひとつきが経とうとしていますが、
今もうれしい余波をいただいています


展覧会では、自然の素材のありのままの姿や個性を理解し、
面白がり、愛おしむ、お二人それぞれの志向や作品に触れるにつけ、

私もむしょうに手を動かしたくなって

展示が終わるのは名残惜しくも、
そのあとの日々が待ち遠しくなるような会期でした



最終日
照明をつける前の、朝の光だけのギャラリーが好きです


展覧会の片付けが終わってまず取り掛かったのは、
裏の草刈りと建屋外周の片付け

川鍋さんとひと葉さんが残してくれた、ワクワクを含んだ空気の中で

この1年半を過ごしてきた建物のことを、
これまでより丁寧に眺め、ゆっくりと敷地に佇んでみます


鉄筋の住まいも、大きく育った樹木も、自生の植物も、様々な生き物たちも、
当然ですが「良いこと」ばかりではなく

「私には太刀打ちできそうにない( ;∀;)
と思うような出来事もいろいろあるのですが

そんな見え方、感じ方が、
ちょっと変化したように思います




ひとつ終われば次へ、新たなものへ、未だ見ぬ先へ、先へ・・・
そういうことでなく

出会った作品から、作家の言葉から、居合わせた景色から、

何か、そのあとの日常にも残り続けるものを大切にできると
うれしくなります


出会った作品が暮らしを変えることもあれば
ハッとしたこころが、見える景色を変えることもあって


そういうことも
アートや手仕事のちから

ひとが素材を介してひとに向けて放つもののちから
なのかもしれないと感じます


受け止めるこちらの「土壌」も問われますが
こちらが痩せた土だった時には・・・
ありがたく腐葉土にさせていただきましょう(。-_-。)


7月に控えている「ツクルノコト」展では
どんな世界に出会えるでしょう

手足を動かし、自身を耕しながら
たのしみに待ちたいと思います



「ツクルノコト」

2019・7・6(sat)~16(tue)

※7・11(closed) 

OPEN 11:00~17:00

会期中の土日は18:00までオープン



2019年6月16日日曜日

1年ぶりの更新です

すっかりご無沙汰してしまったこちらのブログ
折しも最後の更新から丸1年

春からのワーーっとしたのが落ち着いて
ちょっと書きたくなるのが6月なのでしょうか




日頃は展覧会について書くことで力尽きるのです
それはもう渾身のエネルギーを注いで綴っています(。-_-。)


こちらはそれとはまた異なるモードで綴りたいブログ

思いのままに、サクサクと、書けるようになれたなら
もっとかろやかに、のびのびと、

日々のステップを踏めるようにもなれそうな




一年の間に保存されたままの文章たちは、
何をためらってか、放つことができなかった言葉たち

そのことが示す自身のアンバランスを
ようやく昇華できるような気がします


待てました

誰に報告するでもなくつぶやきます




全て時間のかかること

いい6月を過ごしています