かつて長岡市にあった現代アートの画廊が
都市区画整備のあおりで閉廊せざるをえなくなった折、
その画廊に集っていた作家の方々が、新たな発表の場を求め、
苦心・奔走した中で誕生した場であったとのこと
作家たちとのつながりがあり、人望と芸術文化の才覚があり、かつ
提供できる敷地空間という場所を「持っていたひと」が、
思いよらなかった流れを引き受けて始まったギャラリーの歴史 …
私たちは「持たぬひと」だったから
引き受けることになったのだなぁ… ということ